2012年12月30日日曜日

12月13日木曜日

 杏雲堂病院の クリスマス会 が開催されました。

病棟の患者さんには、看護スタッフがタップリ愛情を込めて用意してくれた クリスマスカード と栄養科が丹精込めて焼き上げた 手作りマカロン が、プレゼントされました。


さて、今年の サンタさん は、誰でしょう?



(ちょっと、太めのサンタさん。もちろん中に餡子が入っているんですよ!最近太り気味ですが、ここまで丸くないからねっ!)

 サンタさんが街にやって来た! ならぬ、サンタさんが病棟にやって来た!



 サンタさんが、一人ひとりの患者さんに声をかけて、プレゼントを渡しています。看護スタッフの後押しもあって、サンタさん ノリノリ ですねっ!



 「早く元気になって、お家に帰ろうね」 って、言ってます。患者さん達は、満面の笑みでサンタさんを迎えてくれます。心が通い合うひと時です。


病棟のスタッフに囲まれ、嬉しそうなサンタさん。おじいちゃんなのにやっぱり女性に囲まれると、デレデレ なんですね。

 特にこの日は、看護学校の実習生も来ていたので賑やかでしたね。彼女たちの思い出の一コマに残ったらいいですね。

 この後は、病院ロビーにおいて クリスマス・コンサート が、行われました。

今年も昨年に引き続き 廣瀬清隆さん による ”ピアノと迎える聖夜” です。


廣瀬清隆さん は、製薬会社にお勤めになっていますが、趣味のピアノは 玄人はだし です。

自らの肝炎を、自身が勤務されている会社の薬(インターフェロン)で治療して 完治 しました。

このことが、ご縁で演奏して頂きました廣瀬さんは闘病中に得たさまざまな人たちからの励ましへの感謝として、コンサートチケットの売り上げの一部を杏雲堂病院肝炎研究基金に寄付して頂いてますし、今回の演奏会も協力して頂きました。この場を借り、感謝申し上げます。
 
お陰様で大盛況なクリスマスイベントでした。みなさん、ありがとう!

きっと、来年もサンタさんが来ると思うよ!

Merry Christmas!」ってね。


2012年12月2日日曜日

運と不運

みなさん、こんにちは

 今日は、中央自動車道 笹子トンネルの天井が崩落するという惨事が起こりました。
毎週1-2往復(電車ですが)している僕にとって、とても他人事ではありません。まず亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、けがをされた方々の早期な回復をお祈りいたします。


 高速道路なので車は時速80kmで走ります。1秒で22m, 5秒で110mも走り抜けます、
なので、わずかに数秒で巻き込まれるか否か、運命の分かれ道 です。

朝、元気に家を出た人が、たまたま惨事に巻き込まれてしまいました。

誰が、今日、惨事に巻き込まれると予想できたでしょうか。誰一人として、予想はできません。

 日々の生活の中で、「何かあったらどうしよう?」 と、不安が無いといえばウソになりますが。クヨクヨしても始まりません。

 成るようにしかならないんだと思います。だから、今、この時を 精一杯生きていきたい と思います。
悔いのないように、ねっ!

2012年12月1日土曜日

椎名先生 教授就任

東京大学消化器内科在籍中に大変お世話になった 椎名秀一朗先生 が、本日付けで順天堂大学消化器内科教授に就任されました。

椎名先生は、肝癌の局所療法の第一人者であり多くの患者さんを救ってきました。一人ひとりの患者さんと真摯に向き合い、肝臓がんを針一本(ラジオ波焼灼療法)できちんと治す妥協のない診療姿勢は、私ども後輩の手本になっています。

椎名先生がいなければ、間違いなく今の僕はなかったと思います。これからも益々頑張っていただきたいと思います。

順天堂大学付属順天堂医院での外来診療は、毎週火曜日午前と木曜日午後です。

受診を希望の方は、こちら をご覧下さいね。

椎名先生のご栄転に伴い、当科の佐藤隆久先生が順天堂大学に移動することになりました。
佐藤隆久先生はこれまで当科の中核で働いてくれました。お疲れ様でした。そして有難うございました。

 佐藤先生は学生の頃から椎名先生を慕って東京大学消化器内科に入局しました。今回念願が叶い、椎名先生の右腕として働く機会を得ました。是非、頑張っていただきたいと思います。

先日、隆久先生の壮行会を行いました。場所は杏雲堂病院のすぐそばにある、周恩来元首相が日本留学時代に通った100年続く老舗の中華料理屋さん 漢陽楼 です。



隆久先生へ
周恩来元首相(日中国交正常化をはたした器の大きい政治家です)の名言より、はなむけの言葉とします。

第一に、「よく目を使うこと。」
第二に、「よく耳を使うこと。」
第三に、「よく口を動かすこと。」
第四に、「よく手を動かすこと。」
第五に、「よく足を動かすこと。」

苦しみを甘んじて受け、耐え忍んで強くなってきた人間こそ、この世で一番強い人間なのだ。

2012年11月26日月曜日

モンゴル出張 その2

モンゴル出張 2日目

 11月1日 盛りだくさんの1日の始まりです。
朝一番で国立第三病院に向かいました。もう真冬並みの寒さです。朝晩は氷点下になっています。


 病院から見た外の景色です。寒さと乾燥で草木は枯れています。雑草でもいかに草木が大切か思い知らされました。


 これは4人部屋の入口です。この広い空間にベッドが四隅におかれています。医療施設は昭和40年代ってところでしょうか?。病院の大部屋は広すぎても駄目ですね・・寂しいさや冷たさが前面に出てしまいますね。病室の患者さんが不安げに私たちを見ていました・・・


 第3病院の外来超音波検査室です。エコー専門の先生が自分の診察室を持っています。外には多くの患者さんが診察を待っていてごった返しています。佐藤新平先生が検査のアドバイスをしているところです。


  これは、集中治療室の入口です。同じ建物なのに内装が全く異なります。ここだけ近代化されています。なぜ?答えは日本のODA (Official Development Assistance) の資金で建てられたセクションだからです。見にくいけど、自動ドアの左上にJAPANとODAのロゴがあります。


 これが血管造影室。血管造影装置は、オーストラリアのロータリークラブが寄贈したようです。比較的新しい装置でした。朝から晩までフル稼働です。僕らの前は、心臓カテーテル検査と下肢血管造影検査が行われていました。


 さあ、僕らの出番です。術者は佐藤新平先生、モンゴルの先生に助手に入ってもらい治療を開始しました。約1時間で無事に治療成功です。患者さんも痛くなかったと喜んでいました。


 血管造影室にて、スタッフと記念撮影です。「ハイ、チーズ!パシャ」 みんな明るくてよく働くスタッフです。お陰様で無事にミッションを完了することができました。「ありがとう!」

 遅い昼食の後、病院前の診療所にて、腹部超音波検査を駆使した外来診療を行いました。モンゴルでは、肝臓がんが癌の中で最も頻度が高いそうです。次々に患者さんがやってきます。そして、驚くことに次々と肝がんが見つかります。


 写真は、超音波検査を行う佐藤新平先生です。モンゴルの先生たちが、まさに身を乗り出すようにして見学しています。


 写真、左端はJazag先生のお母様です。そして机の上に置いてあるのは、ラジオ波焼灼療法で使う装置です。「肝がん見つけたら、すぐに治療してあげて」って言っているようですね。


 夕方、モンゴル民族音楽を鑑賞することになりました。会場に向かう途中、スターリンのヘッドマークを付けたジーゼル機関車がモニュメントとして保存されていました。旧ソ連と結びつきが強かった時代を今に伝えています。廃車となっても、その意味では、走り続けていますね・・・


 患者さんのご家族の計らいで、モンゴル民族舞踊を鑑賞しました。使っている楽器の起源は中国ですが、モンゴルの文化で育つうちに独特のスタイルで発展していったと思います。中国のそれとは、またちょっと違う音色でした。舞踊は、どちらかというと勇ましい雰囲気の出し物が多かったと思います。


 歌は、遊牧民独特の喉を震わせて発音する、そう、あの音色です。裏声とはまた違う、モンゴルの草原に響き渡るような音色で、完全に僕らを異文化にいざなってくれました。


 帰り際に、舞妓さんとパチリ。記念撮影をさせて頂きました。
この後、現地の方々とお食事会、こう見ると皆、同じ顔でしょ。モンゴル人と日本人はルーツが同じなので良く似ています。



長い一日もやっと終わりを迎えます。続きはまたね。

2012年11月24日土曜日

モンゴル出張 その1

10月31日水曜日から11月3日土曜日まで3泊4日でモンゴルに出張してきました。

10年前、モンゴル出身のJazag先生が、若くして東京大学消化器内科に留学してきました。その時、公私にわたりJazag先生のサポートをしていたのが佐藤新平先生です。


Jazag先生は、東京大学留学の後、ハーバード大学に留学されました。その後祖国に戻り、若くしてモンゴル肝臓学会会長となり、本年9月にはAPASL (Asian Pacific Association for the Study of the Liver) のSingle Topic Conferenceを主催されました。



 Jazag先生と親交のある佐藤新平先生が、この学会に参加し、学術発表のほか、市民公開講座での講演や病院で実際に患者さんを診療して来ました。

 今回は、そのご縁で患者さんを治療することになり、佐藤新平先生と私でモンゴルに旅立つことになったわけです。

 10月31日 成田から、韓国 (仁川) 経由で、ウランバートルに向かいました。韓国まで約3時間、その先約4時間の予定です。出張中の指示出しを午前3時頃から始めて、やっと片付けて、空港に着きました。いつものように直前は大忙しです。空港でcheck-inしたら自由です。ゆっくりシャワーを浴びて、搭乗口の傍にあったバーで朝ビール。ちょっとくつろぎ過ぎちゃった!搭乗時間が午前9時だと思い込んでいたら、実際はなんと8時30分でした。45分に搭乗口に着いた時にはがらんとしていて、アレ?っと思ったら、すでにFinal Call。危うく乗り遅れるところでした・・


 成田を出発して約9時間後、ウランバートルのジンギス・ハーン国際空港に降り立ちました。空港内はごった返しています。なかなか荷物が出てこなくて、ちょっぴり心配しましたが、何とか無事にゲットできました。荷物の中にカテーテルなど仕事道具を忍び込ませてあったため、まずは何とか第一関門通過ってとこでしょうか。
 陽が沈むとあたりは真っ暗です。9月の学会時、今村潤先生(現、都立駒込病院 肝臓内科)は、路線バスで市内に向かったそうです。道は凸凹だし、言葉は全く通じないし、読めないし、潤ちゃんはやはりただ者ではありません。

 夜、遅くなりましたが国立第3病院に到着しました。この写真は翌朝に撮影したものです。綺麗なところだけ切り取って撮影(不動産屋さんの広告のごとく)してありますが、実際は周囲は荒地、道路から荒地を挟んで病院があります。国民の階級によって受診できる病院が分かれているらしく、ここはもちろん大衆病院です。
 明日治療する患者さんを診察して、ホテルに向かいました。続きはまたね。

2012年11月21日水曜日

理想と現実

こんにちは!

 八ヶ岳南麓の 北杜市立甲陽病院 があります。以前にもお話したかもしれませんが、私の実家がある町の公立病院です。常勤内科医の先生が退職されたので、毎週火曜日に内科外来をお手伝いさせて頂いています。ここに来ると四季の移ろいを感じることが出来ます。

 北杜市 は山梨の北西部に位置します。四方が山に囲まれていて、北に八ヶ岳、東に茅ヶ岳、南に富士山、西に甲斐駒ヶ岳があります。病院の屋上からこれらの山並みを見るのが楽しみになっています。

 昨日は見事な快晴でした。ちょっと北風が強いためか、空気も澄んでいました。写真は病院の屋上からみた八ヶ岳です。


 高齢化社会に位置する甲陽病院の外来は、いろいろな教訓を教えてくれます。元気で長生きの秘訣は、血圧・高脂血症・糖尿病をきちんとコントロールするとともに、適度な運動(この辺りでは軽い農作業)が大事です。これらを満たしている方々は本当にお元気です。

 逆に、病棟では寝たきりになった患者さんが多く入院しています。その大部分が脳梗塞で麻痺になったことがきっかけです。これらの患者さんのカルテを調べると、高血圧や高脂血症、糖尿病などがコントロール不良であったことがわかります。

 日頃のマネージメントが、とても大切であることが再認識されます。これらの病気についても、順次、取り上げていきますので、一緒に勉強していきましょうね。


 さて、衆議院が解散し選挙になりますね。

 政治家は理想を現実に落とし込ませなければいけないので大変だと思います。まあ、医者もそうですが・・ただ僕らの場合、直接的に困っている人を助けられるのがいいところかな・・・それで政治の道は途絶えた(実家は代々田舎の政治家)んだけどね。

 理想を言わせてもらうと

①戦争は絶対にダメ。②処理不可能な核燃料ごみをこれ以上作ってはいけない。この2点です。

 あとの焦点は、僕に言わせるとどうにでもなります。経済や領土問題ですから・・命があれば経済は何とかなります。領土については、そもそも地球は生物共有の財産のはず、話し合いましょ!って感じです。無人島の取り合いで喧嘩(戦争)するのは馬鹿です。棚上げにしておいて野鳥の楽園にしておけばいいんです。

 戦争に行って、実際に戦ったことがありますか?

 僕はつい最近戦って来ました。もちろん夢の中ですが・・・

-最前線で戦う夢です、鉄砲や弓やヤリではなく、刀で戦っているんです。相手を切り倒さないと自分が殺されてしまいます。なぜか、そのようなシチュエーションでした。いつもは救う方なのに殺す方に回るのですから辛いですよ。そしたら目の前に父と子の兵士(もちろん敵)がいました。二人ともアフリカ人で痩せこけてフラフラの状態です。特に子供の兵士は、見た目、栄養失調で立つのも困難かという感じで僕の背後に腰かけていました。父の兵士は、僕に「お願いだから、子供だけは助けてくれ」と懇願しました。振り返ると、子供の兵士は弱っていて、ほっといても死にそうです。父の兵士を、子供の前で切るのも躊躇われました。困って立ち尽くしていたその時です。背後の子供兵士に背中を刺され、僕は死んでしまいました。-

 そこで目が覚めたんです。何でこんな夢をみたのか?カウンセリングでも受けた方が良いんじゃない?と思うような出来事ですが、それは置いといて・・・

 結局、戦争は ヤルカ、ヤラレルカ です。人類として最も愚かな行為です。人道も倫理も何も存在しないんです。私たちの先祖は、嫌というほど経験したはずです。人間には英知があるはずです。戦争を回避するために、その英知を使うべきなのです。相手の挑発に乗って喧嘩をすることが愛国心ではありません。本当の戦争の悲惨さを世界に訴え戦争を阻止するのが我々の使命です。

 もう一つ、”処理不可能なゴミ” をこれ以上作ってはいけないんです。原発のこと、不勉強であったので、全く知りませんでした。

 現在、使用済み核燃料は青森の六ヶ所村と各原子力発電所の冷却プールで保存されています。使用済み核燃料のリサイクルはうまくいかず、最終処分方法も決まってないないため、現在のように、発電所がごみを抱える状態が続いているんです。ですから、原子力発電所を止めているから安全では全くないんです。今もせっせと冷やしているんです(当然莫大な電気を使って)。最終処分は、300m以深の地層処分となっています。しかも核のゴミが安全になるまで1万年以上必要です。最古のピラミッドさえまだ3千年ですよ。どんな建築家がどんな建物を地下に建設するか?誰の町に作るのか?決まってないのに、目先の利益で子孫にこれ以上迷惑をかけられません。

 電気なんて極端な話、この150年です。それまでなくても人類は生きてきたんです。でも放射能が万が一暴れれば・・・解りますよね?言わなくても。だから何が何でもダメなんです。

 
 じゃあ、政治家になればいいんじゃない?って聞こえてきそうですが、まだまだ一人の医師としてやることがいっぱいです。老後、田舎で自給自足の生活をしながら世界平和研究所でも創設しようかと思っています。

 その時もこの綺麗な自然が残っていればいいな。(夕暮れの南アルプスを眺めながら)










2012年10月16日火曜日

”肝臓いきいき教室” が開催されました

10月15日月曜日

みなさん、こんにちは。

朝晩は少し寒くなり、めっきり秋らしくなってきましたね。

甲陽病院前の稲穂-2012/10/2撮影-

 八ヶ岳南麓も稔りの季節を迎えました。”稔” 禾偏(のぎへん)は、稔った稲が原型だそうです。旁(つくり)は念じる。念じるは 心より望む です。

 努力して耕作して、豊作を念じるという意味が稔りにはあるんですね。

 水と米、野菜、そして文化があれば、充分幸せに暮らせると思います。来年こそ稲作にチャレンジしたいと思っています。

さて、肝臓いきいき教室 についてです。

 病気になったら、誰でも不安ですよね。
病気のことやこれから行われる検査や治療について、解らなければ不安はさらに募りますよね。

 そこで私たち医療スタッフが、患者さんを始め ご家族や一般の方々を対象に病気・検査・薬・食事・日常生活・医療制度・福祉など、その時々にテーマを決めて 勉強会 を開催しています。



 今回は、血液検査の見方 について 検査科の高杉さんが解説してくれました。

AST, ALT, T.Bil, Alb, PT, Plt, LDH, ALP, AFP, AFP-L3, PIVKA-II ・・・・

暗号ですよね。外来の時検査結果を受け取っても ??? ですよね。

そこで、検査値の意味するところを解説してくれました。

 当日使ったスライドは、外来待合室や6階病棟にファイルされていますので、参考にしてくださいね。

肝臓いきいき教室は、今後、肝臓だけでなく消化器や胆のうや膵臓のお話もしたいと思います。
題して ”お腹 いきいき” 教室 です。

”ぼちぼち元気で、長生き” を目指しましょう!


2012年9月19日水曜日

ILCA2012 旅行記

皆様のお蔭で”ILCA2012”の発表も無事に終了しました。

 関係各位の皆様、本当にありがとうございました。細やかではありますが、土産話ということで。


 今回は、河井先生, 隆久先生, 私の3人で参加しました。

 Asian Pacific Association for the Study of the Liver の single topic conference でモンゴルから帰国した新平先生と交代して出かけました。新平先生の報告は後日ね・・・

 事前準備を怠ったので、何と三者三様の旅立ちです。
河井先生は、羽田から北京、フランクフルト経由でベルリンへ 本人いわく安かったからと。
隆久先生は、成田からフランクフルト経由でベルリンへ これ王道。
僕は、もたもたしてて、フランクフルト経由が取れずミュンヘン経由でベルリンへ。



 とりあえず隆久先生と成田空港の京辰(今日立つ)で、旅の安全を祈願して乾杯!
この後、別々にベルリンを目指しました。

 日本とベルリンは、7時間の時差があります。日本を出て約16時間、ベルリンのホテルに到着しました。「無事に着いたね、まずは良かった」と隆久先生と乾杯。1日目の夜は更けていきました。
河井先生は僕らより2時間遅れて到着。なんと丸24時間かかったそうです。



 さあ、何種類のビールが出てくるでしょう?とにかくビールが安くて美味しいことは。間違いなしです。早くもビールっ腹になっちゃうよぉ・・・・

 翌日、POTSDAMまで足を延ばし観光してきました。日頃の行いが良いためか?快晴に恵まれました。ただし、もう秋。気温は15度前後で少し肌寒いぐらいでした。

 まず訪れたのが、Schloss Sanssouci サンスーシー宮殿です。フリードリッヒ大王の夏の別荘として1750年頃に建てられたそうです。




 ブドウ畑が段々になった丘の上に建つロココ調の黄色い宮殿です。丘の下から見上げると、ちょうどブドウ畑の緑の上に、あたかも黄色い花のように設計されています。



 宮殿に似合うかどうかは別として、晴天に恵まれた社員旅行をEnjoyしている男三人組です。



 次は、ツェツィーリエンホーフ宮殿です。1945年7月下旬に、ポツダム会議の会場となった場所です。比較的新しく1917年ホーエンツオレルン家の宮殿として建てられました。湖に面した庭に、英国風の山荘という雰囲気の宮殿です。


 

 米、英、ソビエトの三首脳が議論した大会議場の重厚さは、歴史の重みを私たちに伝えてくれます。

 悲しいかな、日本が一億総玉砕と騒いでいる頃、勝ち組による一部の勝ち組(中国等は入っていない)のための分捕り外交が行われていたんですね。もちろん夜はパーティーでの社交も毎晩のようにあったそうです。




 もっと早く、終戦の決断をしていれば、もっと被害は抑えられたはずです。そもそも身の丈を考え、侵略戦争を行わなければ、子孫を困惑させずに済んだのです。

 中庭にはソビエト(東ドイツ)統治の名残で Red Star が花壇で表現されています。戦争の悲惨さを敗戦国民として、十分に体験できました。

 さて、気を取り直して前に進みましょう。ベルリン市内に戻ってきました。お腹もすいたのでランチにしましょう。



 典型的なドイツ料理屋さんに入りました。まずは「Ein Prosit ! さあ、乾杯」
ベルリン名物のアイスバイン(豚肉の煮込み料理)と肉団子を頂きました。とにかく安くて美味しい!

 さあ、お腹も満たされたし、少し歩いてホテルに帰ろう!

戦勝記念塔が見えてきました。さすが大陸だね、争いが絶えないね。デンマーク戦争、オーストリア戦争、フランス戦争の戦勝を祝って1873年に建てられたそうです。


 塔の上には勝利の女神ビクトリアが祀られています。


女神ビクトリアに見とれる東洋人二人。車に気を付けてね。あんまり車道に出ると轢かれちゃうよ!


ビクトリアは片思いで終わりました。ベルリン市内はもうすっかり秋のたたずまいです。ホテルに向かって男三人そぞろ歩きしました。



2012年9月17日月曜日

ILCA2012 



International Liver Cancer Association Annual ConferenceがBerlinで開催されました。

当科からは、河井先生, 隆久先生そして小尾が発表しました。

河井先生は、門脈腫瘍浸潤のある患者さんにおける食道静脈瘤破裂に関する検討結果を発表しました。破裂後の予後を決めるのは、腫瘍因子ではなく肝機能でした。ですから例え腫瘍が門脈に浸潤していても、諦めないで積極的に破裂予防処置をしましょう、という結論です。

隆久先生は、脳転移の解析結果を発表しました。肝癌は主に血液を介して転移します。遠隔転移の頻度では肺、骨、副腎、脳の順ですが、誰が脳転移を起こしやすいか?検討したところほぼ全例で肺転移があることが判明しました。肺転移のある患者さんは脳転移のチェックをして早期発見、早期治療に努めましょうという結論です。

私はk動注化学療法の検討結果を発表しました。動注化学療法は、抗がん剤が効くか効かないかで予後が全く違います。誰が効きやすいか検討したところ門脈に腫瘍が浸潤している、血小板数が12万以下、C型肝炎の患者さんで、腹水がない、肝外転移のない患者さんが効きやすいという結論です。



河井先生、隆久先生の演題はイー・ポスター発表です。写真のように、液晶パネルが設置され画面にタッチして、もしくはキーワードで検索して自由にポスターを見られるシステムです。比較的会場が広く、御覧のようにコミュニケーションもできます。これなら良いかも・・・


私は、幸か不幸か口演でした。口演35題中日本からは近畿大の工藤先生と私の2題だけです。日本の肝癌診療を世界の先生に解って頂けるよう努力しました。いろいろな方々のおかげで発表できました。この場をお借りして感謝申し上げます。


2012年8月7日火曜日

はな火の日 神明の花火大会

今日は花火の日です。

毎週火曜日は、北杜市立甲陽病院と山梨県立中央病院での診療のため山梨にいます。

甲府駅で”神明の花火大会”のポスターが目に留まりました。


丁度、今晩開催です。県下一の花火大会です。仕事を終わらせ会場に向かいました。

会場となる市川大門は、和紙と花火が特産です。武田信玄の時代から狼煙の生産を行って、発展しました。江戸時代は日本三大花火に数えられていたそうです。

日中の暑さが嘘のように、会場となる河原には、爽やかな風が吹き、日も沈むと一層涼しくなります。また都心とは違い、日没につれ真っ暗になります。


河川敷に集まった人々、暗くなるのを待ちわびています。


だいぶ暗くなってきました。鳳凰連山が背景です。日没とともに辺りは真っ暗になります。ネオンも少なく高い建物もありません。純粋に花火が楽しめます。

 お待たせしました。花火大会の始まりです。神明の花火大会、出だしはいきなり二尺玉です!
玉の直径60cm、重さ50kgだそうです。この巨大な花火玉が、ドンッという鈍い音とともに夜空に打ちあがりました。ヒューゥーという音とともに人魂のように真っ赤になって、これでもかとグングン上ります。

 そして炸裂しました。ドバーン!って感じです。重低音を伴った爆音が大地を震わせます。そして裏山から音が共鳴し大迫力です。


 二尺玉が炸裂した瞬間です。これから大輪はどんどん広がりました。その直径は何と500mに及ぶそうです。


大輪が観客席を覆うように降り注いできました。最後のチリチリチリという音が耳元で聞こえます。まるで花火の中にいるような感じです。さすが二尺玉、ど迫力です!

 今夜は、爽やかな夜風にも恵まれ、全く暑くありません。花火の煙も、程よく流れて最高のコンディションです。

 スターマインや競技花火などに続いて、メッセージ花火というのがありました。これは個人がメッセージを添えてスポンサーになるという企画です。アナウンサーが個人のメッセージを熱っぽく読んでくれます。その後、花火が打ちあがるというものです。

 中には、毎年プロポーズもあるそうです。今年はプロポーズのメッセージ花火が5発(5組)ありました。数年前のここ(花火大会)で出会い、愛を育んで、出会ったこの花火大会で結婚を申し込むという、微笑ましい話です。


花火師さんも洒落たもんで、ハート型の花火を上げて、二人の愛を盛り上げます。会場全体から「結婚しろよー」とか「おめでとうー」とかシュプレヒコールがさらに盛り上げます。だから、プロポーズの成功率は100%らしいですよ。

その後も色とりどりの花火が夏の夜空に舞いました。周囲が暗いため、色彩や明暗の幅が広いこと、そして山々に響き渡る重低音と、最後のチリチリチリという散り際の微細な音まで堪能できます。

往復の電車(甲府から身延線で25分)が、東京のラッシュアワー並ですが、機会があれば是非皆さまもお越しください。毎年花火の日(8月7日)に開催だそうです。
何枚か花火のお土産です。(花火に夢中であまり撮れませんでしたが・・)