2013年8月17日土曜日

病棟は山小屋

残暑お見舞い申し上げます。

 みなさん、いかがお過ごしですか?水分と休養を十分にとって、暑い夏を乗り切りましょうね。


 さて、今日は病棟のお話。

 もしもあなたが、どうしても宿泊しなければならないと仮定しましょう。

 宿屋の女将さんに、

「一応、男女に分かれていますが、相部屋とさせていただきます。」

「ベッドとほんのわずかな荷物棚しかありませんので、荷物は最低限にしてください」

「お食事は手前どもの主(アルジ)の指示にもよりますが、一応、一日三食お出しします。ただし、朝食は午前7時半、昼食は正午、夕食は午後6時となっております。」

「トイレ、洗面所、お風呂は、全て共用です。お互いに譲り合って使ってください。」

「あっ、言い忘れましたがご入浴はアルジの許可が必要ですので宜しくお願いします」

「外出する場合や、お帰りになる際も、アルジの許可が必要です。」

って言われたら、どう思います?


 もちろん、宿屋と病院は全く違いますので、同等に考えることは出来ません。しかしこれが、悲しいかな、現実です。体調が良ければ、アルジの許可を得て外出して、外の空気を吸い、つかの間の自由を手に入れることができますが、体調が悪ければその自由もありません。つらい話ですが、これもまた現実です。

 分かっていながら、患者さんたちに無理強いさせている、僕らも心が痛むんです。「何とかならないかなぁ」「少しでも快適に過ごしてもらうには、どうしたら良いんだろう?」って。悩まない日はありません。


 先日、山小屋のドキュメントをテレビで見ながら、ふっと気付きました。「なーんだ、病棟と同じじゃん」って。

 建物は古い木造、部屋は相部屋、しかもトイレに洗面所そしてお風呂も共同。食事も大きな食卓に一同会して、同じものを頂きます。天候が悪ければ、外出や出発も出来ません。山小屋の主が、天候を見極めながら登山者にアドバイスして出発を決めます。

 こんな窮屈な生活を強いられながらも、登山者は“笑顔”です。

 山頂を目指すという共通の目的と、山登りという共通の趣味を持った人達が、過酷な自然の中で、ひとときを共有するのが山小屋です。

 山小屋の主は、登山のスペシャリスト。山頂を目指すためにはどうすればいいのか、刻々と変わる山の天候を見極め、登山者の実力を見極め、いくつかある山頂に至るコースと出発時間をアドバイスします。山小屋には娯楽施設はありません。しかし、アルジの山の話に始まり、自然の話、そして人生相談まで。アルジの力量が問われるんですね。例え施設が古くても、きちんとメンテナンスを行い、専門知識を十分に備えた人間味豊かな主が、明るく元気なスタッフと登山者をおもてなしすることによって、誰からも愛され頼られる山小屋になるんです。

 そうだ! 僕も山小屋の主を目指そう。一つの答えが見つかったような気がします。


次は山頂のお話です。

2013年8月7日水曜日

68年の歳月が経っても

1945年8月6日午前08時15分
1945年8月9日午前11時02分
 
 何ら罪のない人々(特に女性や子供たち)が、日常生活を営んでいた夏

原子力爆弾が投下されました。


 瞬時に10万人を奪い、その後の後遺症でさらに多くの人命奪ったことは

史実です。

 非戦闘員の命を無差別(絨毯爆撃もしかり)に奪った米国とそれを容認した連合国、そうさせた日本は、取り返しのできない過ちを犯しました。

 もともと地球は一つであり、人類のみならず、地球上に暮らす全ての生物の共有物であるはずです。

 人類がが都合よいように開発し、他の生命体から環境を奪い、挙句の果ては、人類同士で奪い合いですか?

人類同士だって、それは住んでるところ、環境、宗教、歴史背景も違えば、考えが違うのも当然かもしれません。

しかし、その考えのギャップを、話し合いで解決するのが、知的社会的動物である人類がとるべき方向です。決して腕力では解決しないのです。腕力では憎しみが憎しみを呼ぶだけです。これも史実です。



知的境的動物である人類は、全ての生物の共有物である地球環境を守る責務があります。もう時間的猶予がありません。取り返しがつかなくなる前に、一緒に考えましょう。